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人の役に立つことを書きたいけどたぶん日記

両親の介護中に上司からパワハラを受け、転職した経緯とその後について。

パワハラを受けて、転職するまでの流れを書き綴ります。高齢の両親に介護が必要な時期だったのでかなりダメージを負いました。この記事を読んで実際に今、窮地に立たされている人に役に立てればと思います。

 

勤めていた企業についてとパワハラ初目撃

2015年に従業員2000人超の一部上場企業に中途採用で入社し、程なくして深夜残業中に課長から部下に対するパワハラを目撃した。

男性課長は確かその頃43歳、相手は20代後半の男性社員。

内容は全て書くとご覧になっている人も気が滅入るものだが、一発アウトは明白な、椅子を後ろから蹴りながらKill you,You dieの連発だった。割愛するが、グレーではなく、ブラックそのもので頻度もかなり多かった記憶。

しかしながら、当時はやばい奴がいるなー、くらいに思って目を背けていた。

まさか自分の上司になるとは思わなかった

2017年の組織編成でまさかの上司になり、嫌な予感はしたものの特に自分への影響はなく、「女の営業はどうせすぐ辞めるから育成する気にもならん」など移動中の電車内で聞かされ、ますますこいつは要警戒な管理者だなー、と距離を置いていたのを覚えている。

その女性社員も同僚がいるオープンスペースで上司の横に立たされ、自分のタスクとそれが遵守できなかった理由を声に出して読み上げさせられたり、ひどいと1時間ほどそれが続いていた。今思うと、見ている私も含めて、なぜ問題提起しなかったのか、と思う。皆、押し黙ったままだった。

それくらい、その程度の指導は当たり前、という風潮が染み付いていたのだと思う。

父親の行方不明後、介護が必要になった

その年、父は86歳、母は82歳と既に高齢を迎えており、父親は肺気腫が慢性化し、10年ほど前に脳梗塞で倒れたことがあった。母親は大病は患っていなかったが、難聴障害があった。

夏場、ある日の午前中に母親から電話があり、「お父さんが昨日から帰ってこない、車もない」とのこと。難聴なので私の話す言葉はほとんど伝わらないが、かなりの大声で「今から行く!」と言った記憶がある。

真っ青になり、都内の自宅から実家の神奈川へ家を飛び出した。川崎に向かうタクシーの途中で警察に電話で状況を伝え、捜索依頼を出した。

車での事故なら事件になっていないか、誰かを巻き込んでしまっていないか、もう心臓と胃袋が締め付けられる思いで東海道線に乗り、父親の携帯を鳴らし続けた。

実家の駅に着き、警察に連絡を入れたが、まだ見つかっていないとのこと。

母親のところについて、意外にも落ち着いた様子で驚いた。「どこでなにしてんだろうねぇ」と。どこかに無断で遊びに言ったような素ぶりで。

そこから何十回とずーっと電話をかけ続け、繋がった時はどんな顔してたのか自分でも覚えていない。「どこ?どこ?_」と怒鳴り続けたが、父親の唸り声らしきものしか聞こえず、しばらくしてやっと息子と会話していることに気づいたらしく、周りになにが見えるかをなんとか聞き出し、ローソンが見える、ということはわかった。

近所にローソンは2軒あり、すぐに車で向かい、2軒目のローソンで見覚えのある車を発見し、父親が乗っていた。

りんごジュースと何かが置いてあったのは覚えているが、車中にこぼれていたりんごジュースの記憶が強い。

歩けない状態だったのでそのまま病院に連れて行くと衰弱しており、その日に入院となった。

その後、尿閉となり、診断後、要介護5の判定となった。

父に聞くと、家を出てからほとんど記憶がなく、車がスーッと進んでしまって怖くなってどこかに停めた、としか聞けなかった。

退院後、まだ運転しようとする父親と大ゲンカしながら、私の一存でオートバックスに連絡を入れ、父親の車を勝手に廃車にした。

父親は猛烈に怒り狂ったが、どこかで事故を起こし、誰かを死なせてしまったら俺の妻と息子に迷惑がかかる、わかって欲しい、という言葉でやっと納得してくれた。

しかし、そこから父はほとんど外に出なくなってしまった。

 

 

書いていたら父親のくだりが結構長くなってしまったのでまた書きます。

高齢者による交通事故は社会問題化していますが、どうか周りからうまいこと促して、支えて、時には強引に、不幸が起きないように願っています。